
千二百年以上の歴史と重みのある伝統を受け継ぐ

杞柳製品製造は2000年の歴史があり、但馬開発の祖と伝えられる天日槍命(あめのひぼこのみこと)によって、技術が伝えられたとの伝承があり、また、奈良正倉院の「柳筥」は但馬地方から上納されたものと言われています。
杞柳製品の中で、現在のような柳行李は、成田広吉が江戸で武家奉公している際に門前の柳の木の細枝を使って飯行李を作った経験を生かし、帰郷後、荒地を開いて柳を栽培し、柳行李を製造したのが最初と言われています。
産業としては、円山川の荒れ地に自生する杞柳「コリヤナギ」で容器を編むことから始まり、江戸時代には、代々藩主が保護奨励したことにより販売網を整え、「豊岡の柳行李」として全国に知られるようになりました。
行李を編む際に使用する麻糸は、既に但馬麻苧(あさお)として全国的に知られ、たくさん作られており、また、行李に使う縁竹も多く、生産に必要な材料は地元で容易に手に入りました。
また、当地方の冬季は積雪で農作業などができず、耕地が狭小で新田開発の余地がないなど、自然の制約によって発生する余剰労働力が、副業として生計の助けとなる杞柳製品づくりへ活かされ、発展していきました。
柳行李は、通気性・容量性・耐久性に優れ、衣類などの保管容器として利用されました。さらに、交通手段の発達とともに、荷物を入れて運搬道具としても活用されました。柳行李はこれらの利点が認められ需要が増大してゆきました。